今ある器を捨てなさい。
2019年7月14日佐賀新聞「ろんだん佐賀」寄稿
「今ある食器を捨てなさい。」大学時代の恩師に「感性を磨くためにはどうしたらよいですか?」と尋ねた時の答えがこれだった。
筆者は外資系コンピュータメーカーから日本旅館やリゾートを運営する企業の広報に転職した時に、自分の「感性の低さ」に危機感を覚えたことがあった。ちなみに「感性」をWIKIPEDIA で調べると「美や善などの評価判断に関する印象の内包的な意味を知覚する能力」とある。
広報という職業は、商品の魅力や開発背景をメディアに説明しなければならない。16年もコンピュータを相手にしていた仕事から一転、オシャレで素敵な婦人雑誌の編集長たちを相手に日本文化や歴史的なこと、そして、新しい日本旅館のあり方を「何が魅力的で」「それはどうしてなのか」を語らなければならなくなった。しかし、何をどう語ればよいのかわからなかったので、借りてきた言葉を駆使して、説明するのが関の山だった。
外資系時代は、なりふりかまわず仕事だけに邁進し「美意識」とか「感性」とは無縁の生活をしていた。化粧や服にも興味がなく、有名ブランドや値段の高いもの、もしくはバーゲンになったもの、他には、みんなが持っているものなら安心だろうという観点で選んでいる始末だった。転職時は、既に充分すぎるほど大人だったので、この年齢からどうやって感性を身に着けることができるのか、皆目見当もつかず、仕方なく、小学生がするような純粋すぎる質問を恩師に投げかけたのだった。
恩師は「気に入っているもの以外の器を捨てなさい。」と続けた。「そんなことをしたら、蕎麦ちょこ1個くらいしか残りません。」と答えると「では、その蕎麦ちょこで、味噌汁もパスタもごはんも食べなさい。」と言われた。「自分が気に入っている器だったら、丁寧に扱うでしょう?そういった日常の振る舞いが、貴女の所作を美しくするのです。そして、こだわりを語ることで言葉が磨かれて、会話が生まれる。自分の眼に叶ったモノ、自分が気に入ったモノに囲まれて生活してみてはどうですか?」と説明してくれた。
早速、恩師に言われた通りに、気に入っていない器をひとまずは押入れに突っ込み、食器棚を半分空にした。そこから器集めが始まった。幸い、全国を飛び回って各地域の伝統工芸にも触れることが多い仕事だったので、出張に行くたびに、職人や定員の話に耳を傾け、一皿一皿集めるようになった。
感性と器の関係はとても深い。器は服のような人に見せる「外的」な目的はほぼなく、「内的」な存在だ。だからこそ、その人本来のこだわりがでる。有田で働いた4年の間にお邪魔したご家庭や、東京の感度が高い方の家にお邪魔すると、器とその人の感性が比例していることが手に取るようにわかる。
さて、筆者の器の旅はあれから10年が経過。感性が磨かれたかどうかは全くわからないが、変わったことが2つある。一つは、ガサツな振る舞いが減ったこと。これは、買い集めた器は一枚も欠けたり割れたりはしていないので、恐らく丁寧に扱うようになったと思う。もう一つは、「好きなものを好き」と言えるようになったこと。簡単なようで、これができない人は意外と多い。今は、アートビジネスにも携わるようになったが、感性を磨く旅路は果てしなく続く。
