前回につづき、柿右衛門ネタです。トヨタとも異なる、この日本ブランドのあり方というか成り立ちについて色々思う所がある今日この頃です。
さて、酒井田さんにご案内されて庭に。ふと、上を見ると、柿が実にいい感じに・・・。
おお!?
あ、あれが「柿右衛門」の柿ですね!
と少々コーフン気味に質問。
「柿右衛門」は、教科書にも載ったお話であり、歌舞伎の演目にもなっています。
その昔、有田焼の色は青(呉須)しかありませんでした。初代柿右衛門こそが、この「赤」を生み出したのです。その開発には大変な苦労があったそう。
以下、教科書から原文のまま抜粋。(太字は南雲による脚色)
「あゝ、きれいだ。あの色をどうかして出したいものだ。」
日頃から自然の色にあこがれていた喜三右衛門(のちの柿右衛門)は、夕陽に照らされ「珊瑚珠」の様に輝く柿の実の色の美しさに打たれて、居ても立っても居られなくなる。磁器に焼付ける色の中でも赤は最も難しい。当時は不可能とも思われていた技術の開発は困難を極めたが、喜三右衛門はひたすら熱中し、研究を止めようとしない。
人は此の有様を見て、たはけとあざけり、気ちがひと罵つたが、少しもとんぢやくしない。彼の頭のなかにあるものは唯夕日を浴びた柿の色であった。
かうして五六年はたつた。或る日の夕方、喜三右衛門はあわたゞしく窯場から走り出た。
「薪はないか。薪はないか。」
彼は気がくるつた様にそこらをかけ廻つた。さうして手當り次第に、何でもひつつかんで行っては窯の中へ投込んた。
喜三右衛門は、血走つた目を見張つてしばらく火の色を見つめて居たが、やがて「よし。」と叫んで火を止めた。
其の夜喜三右衛門は窯の前をはなれないで、もどかしそうに夜の開けるのを待ってゐた。一番鶏の声を聞いてからは、もうじつとしては居られない。胸をどらせながら窯のまはりをぐるぐる廻った。いよいよ夜が明けた。彼はふるへる足をふみしめて窯をあけにかゝつた。朝日のさわやかな光が、木立をもれて窯場にさし込んだ。喜三右衛門は、一つ又一つと窯から皿を出してゐたが不意に「これだ」と大声をあげた。
「出きた出来た。」
皿をさゝげた喜三右衛門は、こをどりして喜んだ。
かうして柿の色を出す事に成功した喜三右衛門は、程なく名を柿右衛門と改めた。
(旧仮名遣い、原文のまま)
この話は歌舞伎『名工柿右衛門』として、片岡仁左衛門の名演で人気を博しました。
「あの柿が柿右衛門の原点なんですね!(≧∇≦)」
と私が元気よく言うと、酒井田さんは、大変優しく「あれは諸説ありましてね。うふふふ」と微笑まれました。
なにはともあれ、こうしてご当家の方にご説明をうける「一次情報」を得たことは、なにか非常に得した気がしています。
柿右衛門窯は春は「桜」。
秋は「柿」が非常に素晴らしいです。とても絵になるのでぜひおいでください。

桜の時期の柿右衛門窯
▶︎柿右衛門窯
住所:佐賀県西松浦郡有田町南山丁352
電話番号:0955-43-2267
営業時間:年中無休 9:00~17:00 (ただし年末・年始は除きます)
http://kakiemon.co.jp/