私が仕事が通して気がついた発見を書き綴っています。

  • 林業の町を観光で活性化する(1)

    林業の町を観光で活性化する(1)

    「林業」は、きこりとか林野庁や、製材所や木工職人などの木に関わる人たちだけの問題ではありません。私たち地球人に関わる問題です。

    それは「木」つまり「植物」は「地球全体」の生態系の浄化作用とか循環システムになくてはならないものだからです。私たちは植物なしでは生きていくことは今はまだ難しいのです。

    なぜか?という話もしたいのですが、そうすると、フルボ酸とかフミン酸とかの海と山の関係の話をしたくなるので、また今度。

    ともかくも「林業の町を活性化しませんか」と言われた時に、(町は小さくても)これは、地球規模の仕事だ、と身が引きしまる想いでした。しかも、その手段が「”観光”で」とかと言われては、日本の観光をヤバくする担い手の一人だった私としては、これは、自分のためにある仕事ではないかと思ってしまう訳です。

    そうしてやってきたのは「埼玉県ときがわ町」。

    町をリサーチする時の最大のポイントは「違和感」を大切にすることです。その違和感から「土」とか「地形」とか「歴史」に向けて掘り下げていきます。

    余談ですが、前職時代、その会社の一番えらい人と文化的な町を歩いていたら、「この町の行政には、男性が多いはずです。」と。

    (でた!またヘンテコ視点)「・・なんで、そう思うんですか?」と聞くと、

    「だって、裸の(ブロンズ)象がたくさんあるから」と。

    「・・しかし裸というものは芸術的な視点においては美の象徴であり・・」

    そこからの会話は割愛しますが、その時の学びは、裸と男性の関係では全くなくて、ボーバクと歩かない、常にアンテナをたてよ、ということでした。

    閑話休題

    ときがわを歩いていたら、通りの向こう(道路を挟んで向こう側から)から、子供たちが、めちゃでかい声でワタシにむけて「こんにちはぁあああ」と。

    下校時間と重なってしまえば、小学生の群れから「こんにちは攻撃」の連射をくらいます。しかし、挨拶は人間関係を構築するための基本なので、ああ、日本の未来は明るいなぁ、とかって嬉しく思ってしまいます。そうして思うのが、

    ここは文化度が高い、ということ。

    その次に思うのが、ここには神社がたくさんあるはず、ということ。

    と、あたり(仮説ともいう)をつけてリサーチしたら、案の定、多数の神社や寺がありました。

     東北旅行で見かけた畑と山との間に佇む小さな神社。

    そしてちゃんと「お祭り」をしていることもわかりました。

    神社や寺の存在目的や意義は数あるが、中でも私が一番いいなぁと思っているものは「自然に感謝する場所」です。

    私たち日本人は昔から自然とともに生きて、ありとあらゆる自然の中に神様がいるという前提で暮らしてきました。人の知恵とか技術などの人為的努力の前に、「作物は自然から贈り物」、であるという感じでしょうか。その感謝の気持ちが形になったのが「お祭り」。

    我が家の近所にある神社で行われたJAZZライブ

    「祭り」は人と人とをつなぐ機能があります。例えば、テント一つをとっても一人で張ることは無理です。口を聞いたことがない相手に「そっちを引っ張って」とかの会話をせざるをえません。たまたま同じ地域に住んでいる、というだけの目的や利害が異なる人たち。ちなみにPTAも同じ効能があると思います。

    利害のない人と会話をしながら一緒に作業をする。

    これは人間関係の構築を円滑にする一つの手段でしょう。以下の動画を慶應SFCのパブリックリレーションズ戦略という講義でよく生徒に見せています。商品ど真ん中訴求ではなく、人間関係の構築に寄与しますよ、という切り口もプロモーション的になかなか良い。4分30秒。ご存知ない方はぜひチラ見を。

    神社があり、祭りが行われているとするのであれば、こんな感じで共同体が築かれているのではないかと考えています。

    「ときがわ町」にはそのベースがある。

    というのが最初の印象でした。

    とはいえ、私が興味をもったのは、ときがわの地形でした。神社をベースに調べていたら、それ以上に多いのが「城」だったのです。次回は「城」の話をします。

    キーワードは「城と天文台」と「道と川」です。

    よく見えませんが、すごい数の城跡があるのがわかります。

     

     

  • 「考えを書いてはいけません。」

    「考えを書いてはいけません。」

    「考え」を書くのではありません。「感性」で書くのです。「知性と理性」が「感性」を支えてくれます。と、詩人であり随筆家の若松英輔さん。

    1年前に親友から送られた本。実は小説や詩などは34歳の時に読むのをやめました。大学受験をするので、どうせ読むなら理論書を読もうと決めたから。なにごとも極端すぎるワタシ。笑


    彼のようなシンプルなのに深くて共感力のある文章を書きたいと思い、若松ゼミに入ったのだが、思いも寄らないアドバイスがあった。

    むむ??

    考えを書かずして、一体、何をかくというのだ?

    論文やビジネス文章ばっかり書いてきた自分としてはさっぱり理解できない。数ヶ月考えてみたけど、やっぱりわからない。

    だって、文章というものは、読み手を想像し、理解してもらえるように書くよね?

    じゃないと文章としての価値はない、、と思って今まで生きてきた。

    実際、バーバラ・ミント先生も野口悠紀雄先生もそういっている。SFCのライティング技術法の高橋先生にはめちゃ御世話になって、こうした先生たちのおかげで電通の広告論文賞も受賞できたし、日経BPやForbes、朝日新聞などのメディアにも掲載してもらえるようになった。

    私が文章作成する時のバイブル。学生にも読むようにと指示。

    私のバイブルを眺めて気が付いた。

    ・・書くことは「表現」だ。

    その表現方法はざっくり二つに分けられる。

    アートかデザインか、だ。

    アートは「問い」でデザインは「答え」。

    だとすると、感性豊かな若松英輔ワールドはアート(問い)で、ビジネス文章はデザイン(答え)なのだ。

    と、ここまで整理してから、若松さんに聞いてみた。

    考えたことを書くのはいけないことなんですか?

    すると、

    「頭」で書くということは、「観念的」だったり「頭だけで考える」ようになるんです、と。

    ・・

    なるほど・・

    そうか・・

    つまり体と心がひとつになる必要があるってことか。

    泳ぎ方の本をいくら読んでも決して泳げやしない。実際に、水にはいり、体を水に浮かべて、手をかき、足をバタつかし、溺れそうになりながらもがいているとそのうち泳げるようになる。まずは、そこなのだ。

    「理論」などの「知識」が必要になるのはその後。

    「早く泳ぐ」とか「綺麗に泳ぐ」とかの「知識」は、まだ泳げない自分の中には存在しない。それは誰かが作った「答え」なのだ。

    まず自分の体(内なるもの)に問いつつ、あれこれやってみる。そうすると何かが「生まれる」。

    外からの知識が先にくることもあるが、基本は、まずやってみることだ。

    自分の内と自分の外(他人の知識)と行き来することから得られるものが「知性」であり「理性」。そして「知恵」である。

    私は、すっかりオトナになっちゃったってことか・・

    でも、小学生の時の気持ちに戻ればいいのか・・

    子供のような素直な気持ちで書いたとしても、四半世紀もの長い時間、私の人生(経済)を支えてくれた知性と理性は、その文章をも支えてくれる(はず)。

    加えて、若松さんは言う。

    詩は手紙です。そして、手紙はコトバの花束です、と。

    詩は手紙・・

    だったら、書いてみたいことがある。そう思って「詩」を書くことにした。ビジネス文章はしばらくお休み。もっと詩を書いたほうがいい、という若松さんのススメで詩を書く。

    私は表現者でありたい。音楽を奏でることも、絵を思うように描くこともままならなくても、コトバなら付き合っていくことができる。

    という訳で、たまに、そんな投稿が目につくようになると思いますが、泳いだことがない子供がジタバタもがいている、と思って暖かく眺めてくだされば嬉しいです。

    Dive into myself.

  • 手仕事されたモノが心地よい理由

    手仕事されたモノが心地よい理由

    私は多分面倒くさい人なのかもしれない。
    美味しいモノや美しいモノに出会うと、なぜ、美味しいと感じるのか、なぜ、美しいと感じるのかを考えてしまうからだ。でも、そのおかげで、「美しい」モノの理由がわかったことがあるので、それについて書いてみたい。

    幼い時から自然や手仕事がされたものが好きで、仕事も私事もその業界に関わるものが多い。そういった関係で我が家には日本各地の陶磁器があるが、お気に入りの器の一つが佐賀県伊万里にいる馬場さんが作ったものだ。

    馬場さんは、地元の土を使い、地元の素材を配合した釉薬を作って、作陶している。毎日「ああ、忙しい忙しい。注文してくれた皆様、お待たせしてごめんなさい、一生懸命に作っているので、待っててくださいね。」と、ニコニコしながらせっせと轆轤を回している。

    皿板の上にずらりとならぶ同じ形をした器。同じものを作っていて飽きないのかな、などど思うのだが、どうも飽きないらしい。器は同じ形のようで微妙に違う。釉薬も均一ではなく、指の跡がついていることもある。でも、どのお皿もそれはそれは美しいのだ。

    なぜ、美しいのだろう。

    もしかしたら白銀比(5:7)で作られてる?と思い、測ったがそうではなかった。もちろん黄金比(5:8)でもない。

    数日前、その答えを森の中でみつけた。

    林業の仕事中、なぜか年輪に魅了されてしまい、生木を持ち帰ってしまった。年輪をよく見ると、ほぼ同じ間隔で何重もの円がある。だが、目を引いて全体をみるとその間隔は同じではない、結果、歪な円をなしている。

    思わずもちかえってしまった杉の生木。ピシっと音がして亀裂が入った。

    地形の輪郭、樹木の形態、鳥の群れなどは「フラクタル構造」がある。それは数式化が可能なのだが、同じものは生成されない。その微妙なズレが「1/fゆらぎ」なのだ。電車の振動もそれ。電車で寝てしまう人が多いのはそれが理由だ。

    「すべては森から」を書かれた建築家で森林研究をしている落合さんによれば、そのゆらぎは職人の手による手仕事にも見られ、例えば、ベテラン職人が塗った漆喰壁は鏡のようにすべらかでも測定するとわずかな凸凹があり、それは1/fになっているそうだ。一方で素人が塗ったものにはそれがなく、単に下手なだけで見苦しい。

    「1/fのゆらぎ」は工業製品には存在しない。毎日、同じ作業をして突き詰めた手仕事から産まれるものなのだ。

    なるほど。馬場さんの手は自然を生み出していたんだ。

    反復している人だけが産み出せる「心地よさ」。私が幼い時から自然や手仕事に魅了されるのはそこだったのか。私は知らず知らずのうちに、手仕事がされた器やお茶などを通して、家の中にも自然を招き入れていたのかもしれない。

    そう思って、ふと顔を上げたら、目の前に森が見えた、ような気がした。

    赴任先の埼玉県ときがわ町の杉の木立。山主さんにとっては「杉の畑」。大切に育てられている。

    ※「民藝四十年」を読んでインスパイアーされて書いたエッセイ
    ※アイキャッチの写真は馬場さん(文祥窯)のお皿。よく見るとヒビが入っています。馬場さんはこのヒビが愛らしいそうです。

  • 妙な緊張感で書きました。

    妙な緊張感で書きました。

    母校の機関誌に妙な緊張感と共に書かせていただきました。

    お世話になった恩師たちの目に止まるかもしれないなぁ、と思うと妙に緊張してしまいました。

    この感触はアレに似ています。

    アレとは、両親に自分の成長を見せる、たとえば学芸会とか運動会などの場面で感じる、照れくささと誇らしさと、、失敗して怒られたらどうしようとか、がっかりされたらどうしよう、という緊張感がないこぜになった複雑な気持ちのこと。みなさんは、そんな気持ち、ないですか?

    両親にはついに「私の発表を見に来てね」と言えませんでした。高校生の時、エレクトーンの発表会に、こっそり見に来て、こっそり帰っていった父親の後ろ姿がありました。ああ、悪いことをしたな、、、ととても申し訳なく思った記憶があります。

    今回は、先生たちに「教え子の一人です。ぜひ、読んでください。」とお伝えすることができました。もう一人、同校出身で偉大なる先輩であり、歴史に残る偉大な某経営者には、まだ照れ臭いので「あなたの会社で学びました。ありがとうございます。」と感謝の気持ちを心の中でお伝えしました。まだまだ未熟者な私です。

    本文とは全く関係ないコメントで大変失礼しました。
    肝心の本文はこちらからご笑覧いただけます。

    https://www.mita-hyoron.keio.ac.jp/featured-topic/2020/12-1.html

     

     

     

  • 旅が教えてくれたこと。

    旅が教えてくれたこと。

    私は私が選んだものでできている。

    今から6年前、山岳地帯、砂漠地帯などがある異国の辺境700キロを50日間分の生活用具一式を背負って歩いたことがある。一歩間違えれば、死に至ることもあると言われていたので、歩行訓練を行い、最高の道具を揃えて挑んだ。

     万全の備えのおかげもあり怪我もなく、いよいよゴールまであと2日、という地点にきた。

     その日は朝から土砂降り。ふと足元をみたら、ブーツから泡がでていることに気がついた。

     ブーツが壊れた・・。

     思わず目を見開いて「履くものがなければ、もう歩けない」とパニックになった次の瞬間、怒涛のように様々な感情が押し寄せてきて、涙がこぼれた。

     このブーツは700キロもの道を超えて私をここまで連れてきてくれた。穴が空いてしまったが、あと2日なら耐えてくれるだろう。このブーツを選んで良かった、とブーツを作ってくれた人に心底、感謝した。

     その次の瞬間、感謝すべきはそれだけではないことに気がついた。

     毎朝、身支度をしながら聴いていたあの曲。疲れた体を癒してくれる香りの良いオイル。元同僚が応援メッセージを書き込んでくれたガイドブック。やったことがないSNSを駆使して届く、母からのメッセージ。リュックにつけた日本の国旗は背筋をピンとさせてくれたりもした。

     ああ、私は色々なものでできている。

     その多くは私が選んだものだ。

     なにかに呼ばれた気がして旅にでたが、そういったものたちが手を引き、背中を押して、私をここに連れてきてくれたのだ。

     そう思ったら、なんだか泣けてきて、雨と涙でぐしょぐしょになりながら歩いた。

     人生は旅そのものだ。

     何を持って行くかはとても重要な判断だが、本当に必要なものほど見えにくい。でも、自分らしくありたい、という願いがあれば、天啓が降りてくる。それを受け止められる心の余白を残しておくのもまた備えなのだと思った。

    ※「民藝四十年」を読んでインスパイアーされて書いたエッセイ
    ※アイキャッチの写真はスペイン700キロを共に経験したリュックサック

  • 境界を越える時は

    境界を越える時は

    世の中には見えない境界がある。

    コロナが蔓延して、人や国の境界は厚くもなり高くもなった。しかし、それは感じ方の問題なので、問うべきは「越え方」にあると思う。

    武道に「間合い」という用語があり、これは距離感をとる稽古だ。
    その要点は3つ。

    ●相手の全身が見えるまで下がる
    ●心が静かな距離まで近づく
    ●但し、それはお互いが一歩踏み出さないと領域に入らないところまで

    実際に稽古をつけてもらうとわかるが、全然できない。遠すぎたり、近すぎたりしてしまうのだ。ともかくも、これが境界にたつ、ということだ。

    問題は、その次。
    どうやって境界を越えるのか、ということだ。
    先日、その作法があることを知った。

    「線の密意」。


    これは柳宗悦が「民藝四十年」の中に書いた一節にある言葉だ。指摘がなければ読み飛ばしてしまう4文字を若松英輔さんは、こう解説してくれた。

    「線の密意」とは、線には言葉にならない意図があるということです。「線の秘事」となると、言葉にならない想いが秘められているということ。朝鮮のような日本にとって近しい隣国でも「線の秘事」があるので、立ち入る時は小さくなって入らないといけない。

    その話を聞いて思い出したのは、神様が住まう島(日本だ)に行った時に、その島に住む同僚(日本人だ)が、ある場所で足を止めて言った言葉だ。

    あのね、ここから向こうは神様の領域なの。ここを通る時は、まず自分の名前とどこに住んでいるか、それと年齢、最後に、よろしくお願いします、と言ってお辞儀をしてね。

    
    
    
    
    
    日本の南にある神様がすまう島。

    ・・・

    ああ、ここには、知性がある。そのやり方は、先住である神様に人間がことわりをして、供に生きていく知恵だ、と姿勢を正した記憶がある。

    境界を感じるにも、境界を越えるにもルールがあるのだ。

     例えて言うなら、大好きな有名人が信号待ちをしていても、いきなり握手してはいけない。

    考えてもみて欲しい。目がギラギラした人がいきなり目の前にたったらどう思うだろうか。逃げ出すのが普通だ。

    だから、まずは、相手(自分ではない)が怖さを感じない程度の距離感を保ち「こんにちは。私、あなたの大ファンなんです。よろしければ握手してもらえませんか」と聞いたりする。もし、合意を得られたら、近寄って握手。断られても「わかりました。応援しています」くらいのことは言って欲しい。だって「線の秘事」があるのだから。

    これから境界はますます高くなってしまう気がする。しかし、越えなければ孤立や分断を生むだろう。

    東洋的な考え方に希望を感じ、まずは、今、私の目の前にある境界から越えていく。

    ※「民藝四十年」を読んでインスパイアーされて書いたエッセイ
    ※アイキャッチの写真は広報時代に訪れた「神様が住まう島」のビーチ

  • 美が越境するために必要なこと

    美が越境するために必要なこと

    美しいものを語り合う時、私は愛を感じる。

     逆説的だが、美しいと思う気持ちは人それぞれ。その人自身の主観だ。

     自分の審美眼は人とは違う。それを大前提として、なぜ、それを美しいと思ったのか、そのことについて他者と分かち合う時に美は越境するのだと思う。

     最近まで美しいものを美しいとは言えなかった。自分の審美眼に全く自信が持てなかったからだ。

     それがある時から言えるようになった。

     絵を習い始めた時だ。その先生は絵の基本であるデッサンには3つのポイントがあると言う。

    ・重さ
    ・動き
    ・手触り

    被写体の形を写し取るのではない。目だけで描かないように。そして、影は描かないで、と。

    被写体に触れる時は手にとり、そうでない時は頭の中で猛烈にイメージする。この練習をひたすらに行い、生徒同士で何を感じたかを話し合う。

    その時に、他者を否定できないものがあることに気がついた。

    重さ、動き、手触りは、その人だけの感覚なのだ。

    だから、他人のデッサンをみて「いや、重くないでしょ」とか「その手触りは間違っている」とは言えないのである。人の感覚は自分のものとは違う。当たり前のように思うが、実際に経験してみると、心の底からそう思う。人の感覚だけではなく、自分の感覚も人から否定されるものではない。そう思えた時に初めて「これでいいのだ」と思えた。

     美がやすやすと共有できる環境は平和であろう。まずは、人から否定されるのを怖がらない。そして、人が感じる美しさに心を向ける。付け加えるなら、美について語れる表現力も欲しい。そうして美を分かち合えた瞬間に心が通じ合い、愛を感じるのではないか、私はそう思う。

    ※「民藝四十年」を読んでインスパイアーされて書いたエッセイ

  • あなたを雇う会社はない

    あなたを雇う会社はない

    自分の審美眼を信じる

    2019年11月17日佐賀新聞「ろんだん佐賀」寄稿

    本欄への寄稿も今回が最後になった。最終回は大学や外部で講師をする時に、仕事やキャリアに関する質問が多いことを鑑み、仕事に悩んでいる方や就職で苦戦している方と親御さんの少しでも参考になればと思い、筆者なりの考えをお伝えしたい。

    筆者は今から13年前に「あなたを雇う会社はないと思います。」と優良企業A社の人事総務の女性役員から言われたことがある。

    キャリア転機のきっかけは、高卒で16年間勤務した外資系IT企業で仕事も私事も上手く行かない局面に見舞われた時だ。その時に、今こそ学ぶ時が来た、と思い、突然ガリ勉女に変身。学費をかき集めて、大学に入学した。大学では最大で4つのゼミを掛け持ちし、夜中まで研究室にいた。

    卒業が近い4年生の7月。将来は日本のものづくりに貢献しよう、と思っていたが、この年齢で就職している前例が当時はまだなく、悶々としたまま国際NGOでインターンをしていた。

    ある日、NGOの理事長が「A社に渉外に行くので、同行しないか?」と誘われ、人事総務の役員の女性との打合わせに同席した。話が一段落した時に「この会社に入るためにはどうしたらいいか?」と聞いてみた。その答えが前述のものだ。彼女の本意は、日本企業は中途入社でキャリア志向がある女性を怖くて雇えない、採用されてもやりたいことができるのは退職間際だと言うことだった。

    トボトボとA社を後にする筆者に向かって理事長は「本当にA社に入りたいなら、経営者に手紙をかいたらどうか?」と言った。「その手紙が経営者に届くかどうかは内容次第だが、あの会社なら届くだろう、届かないなら、そんな会社に行く必要はない。」と言った。それもそうだ。扉がない入り口なら、自分で作ればいい。筆者は早速机に向かった。

    ところがだ、なんと書くことがないのである。つまり、その会社のことも経営者もことも通り一辺倒のことしか知らず、借りてきた文言を並べることしかできなかったのだ。考えを改めてゼロから企業を探し始めた時、ある企業が目に止まった。星野リゾートだ。当時、某番組で紹介されたこともあり、興味を持ったものの、番組で語られていること全てが本当かどうかはわからない。そこで、自分の目で確かめるために大学を休み、車で軽井沢の施設まで行きリサーチした。ついでに八ヶ岳にある施設まで車を飛ばし追加リサーチ。分かったのは、テレビで言われていたことは、どうも本当らしい、ということ。そのうえで自分ができることは何かと考えて、A4用紙1枚にまとめた。そして、その経営者が登壇するセミナーに申込み、会場をでた所を捕まえてそれを渡した。そんなこんなで就職することができた。入社したものの途中で心底イヤになったこともあったが8年間務められたのは、あの時の自分の眼を信じたからだ。

    イヤでも我慢しろ、ということではない。進路はいつでも変更可能だし、足りないものはいつでも学べる。小さい扉に大人数が突進している図をイメージして、人とは違うやり方で扉を開ける方法を考えるのも重要だ。でも、そうして職に就いてもイヤなことはあるだろう。その時は、一旦、自分の審美眼を信じてみることだと思う。筆者は、そうして有田と嬉野で仕事をしてきた。

    さて、いよいよ最後の段落だ。第二の故郷の佐賀の皆さんに一方的ではあるが、こうして発信できたのは喜びであった。声がけしてくれた佐賀新聞社の方、拙い文章を読んでくださった読者の皆様に深くお礼を申し上げたい。ありがとうございました。

  • 感性の磨き方

    感性の磨き方

    今ある器を捨てなさい。

    2019年7月14日佐賀新聞「ろんだん佐賀」寄稿

    「今ある食器を捨てなさい。」大学時代の恩師に「感性を磨くためにはどうしたらよいですか?」と尋ねた時の答えがこれだった。

    筆者は外資系コンピュータメーカーから日本旅館やリゾートを運営する企業の広報に転職した時に、自分の「感性の低さ」に危機感を覚えたことがあった。ちなみに「感性」をWIKIPEDIA で調べると「美や善などの評価判断に関する印象の内包的な意味を知覚する能力」とある。

    広報という職業は、商品の魅力や開発背景をメディアに説明しなければならない。16年もコンピュータを相手にしていた仕事から一転、オシャレで素敵な婦人雑誌の編集長たちを相手に日本文化や歴史的なこと、そして、新しい日本旅館のあり方を「何が魅力的で」「それはどうしてなのか」を語らなければならなくなった。しかし、何をどう語ればよいのかわからなかったので、借りてきた言葉を駆使して、説明するのが関の山だった。

    外資系時代は、なりふりかまわず仕事だけに邁進し「美意識」とか「感性」とは無縁の生活をしていた。化粧や服にも興味がなく、有名ブランドや値段の高いもの、もしくはバーゲンになったもの、他には、みんなが持っているものなら安心だろうという観点で選んでいる始末だった。転職時は、既に充分すぎるほど大人だったので、この年齢からどうやって感性を身に着けることができるのか、皆目見当もつかず、仕方なく、小学生がするような純粋すぎる質問を恩師に投げかけたのだった。

    恩師は「気に入っているもの以外の器を捨てなさい。」と続けた。「そんなことをしたら、蕎麦ちょこ1個くらいしか残りません。」と答えると「では、その蕎麦ちょこで、味噌汁もパスタもごはんも食べなさい。」と言われた。「自分が気に入っている器だったら、丁寧に扱うでしょう?そういった日常の振る舞いが、貴女の所作を美しくするのです。そして、こだわりを語ることで言葉が磨かれて、会話が生まれる。自分の眼に叶ったモノ、自分が気に入ったモノに囲まれて生活してみてはどうですか?」と説明してくれた。

    早速、恩師に言われた通りに、気に入っていない器をひとまずは押入れに突っ込み、食器棚を半分空にした。そこから器集めが始まった。幸い、全国を飛び回って各地域の伝統工芸にも触れることが多い仕事だったので、出張に行くたびに、職人や定員の話に耳を傾け、一皿一皿集めるようになった。

    感性と器の関係はとても深い。器は服のような人に見せる「外的」な目的はほぼなく、「内的」な存在だ。だからこそ、その人本来のこだわりがでる。有田で働いた4年の間にお邪魔したご家庭や、東京の感度が高い方の家にお邪魔すると、器とその人の感性が比例していることが手に取るようにわかる。

    さて、筆者の器の旅はあれから10年が経過。感性が磨かれたかどうかは全くわからないが、変わったことが2つある。一つは、ガサツな振る舞いが減ったこと。これは、買い集めた器は一枚も欠けたり割れたりはしていないので、恐らく丁寧に扱うようになったと思う。もう一つは、「好きなものを好き」と言えるようになったこと。簡単なようで、これができない人は意外と多い。今は、アートビジネスにも携わるようになったが、感性を磨く旅路は果てしなく続く。



  • 地域魅力の見つけ方

    地域魅力の見つけ方

    土・地形・歴史を見る

    2019年1月27日佐賀新聞「ろんだん佐賀」寄稿

    皆さんはご自身の地域の魅力をどの位語れるだろうか。私たちの町にはなんの魅力もない。東京と地域を行き来するようになって13年、なんどとなく、この言葉を聞いた。しかし、どのような地域にでも必ず魅力はある。そこで「ろんだん佐賀」では数回にわけて「地域の魅力」について論じてみたい。

    筆者の本業は、企業や行政からの依頼で、地域の魅力を見つけて戦略に合わせたコンセプト立案をすることだ。ハードやソフトの企画を提案し、導入まで担う場合もあり、その時は都市と地域の間にある様々な距離感を調整することもある。

    コンセプトの基になる地域魅力だが、これは「土」と「地形」と「歴史」で説明ができる、というのが筆者の考えだ。特に重要なのは「土」である。土は、その土質にあった「産物」を実らせて、地域経済を成立されるからだ。これは農産物だけではなく鉱物も含まれる。他に、人と物の動きを左右する「地形」と文化に影響を与える政策などを「歴史」からみれば本物の魅力が見えてくる。

    「土」が地域魅力の源だということに気がついたのは、スペイン700キロを歩いた時のことだった。40日間、ひたすら西に向かって歩き、夜になれば地域のスペイン料理とワインを飲んで眠りにつく。あるデータによれば、人の視線の約6割が地面と言われている。つまり、筆者は当時、スペインの大地ばかりを見ていたことになる。

    スタート地点はピレネー山脈の麓にある砂漠地帯からだった。砂漠といっても乾燥に強い葡萄やオリーブはまばらに生えている。水分が少ないため、そこで採れる葡萄は小粒で果汁が凝縮されている。ゆえに、その葡萄から造られるワインはとても濃密なのだ。その他の農産物は無いに等しく、畜産は少しの草でも生きられる羊くらいだ。レストランでは、靴についた土ほこりを叩いてから入店し、濃厚な赤ワインとラムチョップを堪能した。

    さらに数十キロ歩くと小川が出現した。小川はどんどん幅が広がり、やがて船が行き来する水路になり、自分が都市部に入ったことがわかった。かつて、人間は陸路ではなく水路を使って物資を輸送した。インダス文明などの成立ちを鑑みると川と都市との密接な関係性についてはご理解いただけるだろう。ここではスペイン各地の食材を使った料理を食べることができた。

    ゴール地点は、海が近くて雨が多いガリシア地域。ぬかるみで靴は泥だらけになり、そのままレストランに入るのがためらわれた。とはいえ、この地域の食事は最高だった。平地には青々とした牧草が茂り、それを乳牛が食む。水分量の多い葡萄から造られるワインは酸味があって爽やか。最後の1週間はチーズとワインそれに海産物の食事を満喫した。

    紙幅の関係で充分な説明ではないが、土地の魅力を生み出す源は「土」だということがご理解いただけるかと思う。また、羊料理に合うのは濃厚な赤ワイン、チーズや海産物には酸味のあるワインが合う、と言われている理由も、同じ地域(土)から生まれた産物だから、ということでご納得いただけるだろう。次回は佐賀県の土ついて論じてみたい。